【哲研11月例会報告】近代の日朝関係と「日本人」意識の成立 ―日韓歴史認識問題の起源―

講演 大阪大学大学院文学研究科 北泊謙太郎さん

 

【概要報告】

報告の前半では、戦後補償をめぐる日本とアジア(韓国)について述べた。2018年10月以降に日韓の国家間対立が表面化した根底には、日韓の「歴史(認識)問題」が横たわっていることは疑いをえない。日韓間の歴史問題については、1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」と日本政府が繰り返し説明し、国民の圧倒的多数もこれを支持しているが、この「歴史問題」の背景には、戦後日本の「賠償」や戦後補償が〈役務・生産物供与・加工賠償〉といった「モノとヒト」の提供による賠償や経済協力という形でなされたこと、換言すれば、日本による侵略戦争や植民地支配の被害者に対する金銭賠償が十分になされなかったことを指摘しなければならない。この「生産物・役務の供与」という形の賠償や経済協力という特徴は、サンフランシスコ講和条約から、アジア四ヵ国(ビルマ・南ベトナム・フィリピン・インドネシア)間で締結された賠償協定、その他のアジア諸国との間に結ばれた準賠償協定(経済協力協定)に至る過程において一貫しており、1965年の日韓請求権協定もこのような日本の戦後賠償政策の文脈で理解する必要がある。

報告の後半では、日清戦争と「日本人」意識の成立について、最近の日清戦争研究の成果をふまえつつ述べた。まず、日清開戦をめぐる研究史では、近年「結果開戦論」(朝鮮出兵の結果引くに引けなくなり開戦に至ったという説)が台頭し、その背景には1880年代に当時の日本や李氏朝鮮・欧米諸国などで「朝鮮中立化論」が外交政策として主張されたことを指摘した。しかしながら、欧州のベルギーをモデルとした「朝鮮中立化論」も、ロシアの東アジア進出と清国の実質的な朝鮮「属国」化と日本側が認識するような東アジア情勢を背景に、1894年の甲午農民戦争に対する日清両国出兵を契機として朝鮮中立化が放棄・挫折していくことになったのである。次に、日清戦争は一般民衆の間に「日本人」意識が生まれるきっかけとなった点を述べた。すなわち、1日清戦争は「日の丸」が国民の日常生活に深く浸透する画期となったこと、2出征兵士の歓送迎、戦捷奉祝会、戦没者葬儀などの場で「国民」である自分が繰り返し自覚されたこと、3出征兵士は「不潔」で「悪臭」の漂う朝鮮・中国の家や街を戦場という特殊な条件下で現象的に見聞することで、それらを生活習慣の相対化という形で消化することができず、強烈な〈差別・蔑視〉意識へと転化することとなった。このような出征兵士の異国観は、かれらの手紙や日記、帰国後の戦争談などによって多くの民衆に流布し、現代に連なる「日本人」意識の源流となったことを指摘した。

ただ、以上のような「日本人意識」は現代にストレートにつながる訳ではない。現在の日本社会に見られる韓国人・朝鮮人観は歴史的にどのように位置づけることができるのか。1965年以降の日韓関係をふくむ東アジア国際情勢から改めて考える必要性があることが、本報告の課題として残った。


【討論】

報告に関連して、韓国では民主化以降、経済成長と国民の所得増加が進み、国民一人当たりの購買力平価GDPは日本の93%に達している。逆に、日本では非正規雇用が増え、国民の平均所得が減少し、両国民の所得水準は逆転しつつある。民主主義の達成度合いと言う点から両国の関係を見直す必要があるのではないかと言う意見が河野から出された。

 

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